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今日は、人の本性って本当に極限でしか、
追い込まれたときでしかわからないということについて。
新年になって2日目ですが、いかがお過ごしですか?(笑)
別に改まることもないのですが、
普段、取り繕った人でも本当に極限になったときって
本性が出てしまいますよね?
自分が良いように見られたい、好感度を上げたい、
認められたいという風な状況を取り繕うとする感情よりも
極限から脱したいという感情のほうが上になったときに本性が現れる。
そういう感情が最初からない人、
最初から本性がむき出し(笑)の人は、
そんなことしなくても本性を出していると思います。
しかし、猫を被るじゃないですけど、
大体の人が自分ひとりのときと組織、社会、
コミュニティに囲まれているときとでは違うと思います。
日本でいう「本音と建前」ですね。
そういう建前的な考え方って他の人のものを見抜くことも大事ですが、
自分自身も自分に対して猫を被っていることってありませんか?
どういうことかというと、本当は自分は優秀ではないと思っているけど、
それを認めたくないがあまり、虚勢、嘘をついてしまう。
また、本当の自分は内気で社会的ではないけど、
自分は人気者だと思いたい、思われたいと思うがあまり、
多少犠牲を払っても「八方美人」を装ってしまう。
そんな風に誰でも何かしらの建前を背負っている、
装っていることは理解してもらえると思います。
そこで何が言いたいかというと、
極限でしかわからないことがあるということです。
自分はこうだと、こうあるべきだ、
他はこうだと、こうあるべきだと思っていたとしても、
極限でしかわからないものはあります。
そういうものをあえて極限みたいな状況に自分を、
他を置くことによって見分けやすくできるんですね。
例えば、極限まではいかないけど、
『旅行』なんて良い例じゃないでしょうか?
何人かで旅行に良くと、よりその人のことがわかりますよね?
その期間が長くなればなるほど、極限、
取り繕うのがめんどくさい、困難になるので、
本性が出やすくなり、その人のことがわかります。
また、結婚する前に『同棲』する人が多いのも、
相手の本性、マッチングみたいなものを見分けるためですよね?
それを、そういう特別な状況だけではなく、
自分、他に対して色々な場面で試して、
本性みたいなものをあぶり出していこうとすれば、
より深く、人、物事を捉えることができるんじゃないでしょうか?