ご訪問ありがとうございます。
今日は、過去に対して後悔をしてしまう人へ、
あのときにああやっておけば今、こんなになっていなかったのにと思ってしまう人へ。
皆さんはあのとき・・・と思うことはありますか?
もし、そのときに返れたとしたらどうしたいですか?
私も?(皆さんはどうなのでしょうか?)過去への後悔をよくしてしまいます。
そして、友人にも「あのときああしていれば・・・」とか、
「あのときがターニングポイントやったな」とか後悔を吐露してしまいます。
皆さんはそのときああしていればと思うときに返れたとして、
今の自分とは違う自分になっていると思いますか?
実際に考えてみると、もし返れたとしても、
やっぱり同じような歩みをしてしまうんではないでしょうか?
後悔となると、「失敗」を思い浮かべる人が多いと思いますが、
結局は、同じような失敗(自分で定義するもの)を犯してしまうんじゃないでしょうか?
こればっかりはタイムマシーン(笑)でも開発されない限り、
検証しようがないので(汗)、議論の決着がつかないのですが・・・。
私の場合に限っては、そのときの記憶があったとしても、
まだいける、失敗の記憶があるから余裕を出す等し、
結局、同じ「やっちまった」を犯してしまうと思いますね。(笑)
そして、たとえその失敗を乗り切れたとしても、
調子に乗り、他の出来事で失敗してしまうんじゃないでしょうか?
失敗を犯すことによって学び、対策を施し、
他の失敗を事前に無くすこともできていたとも考えられますね。
そして、今日の本題。「過去の後悔を現在(将来)の布石に昇華する」
まぁ、格好良く書いているのですが(笑)、
要は、なんぼ後悔しても現在の自分は変わらないので、
これからの学びにしていこう!ということです。
後悔しても自責の念に駆られ、結果は変わりません。
そうであるならば、過去の結果で落ち込むのではなく、
その結果から学べるものをどんどん学んでいきませんか?
それが「過去の後悔を現在(将来)の布石に昇華する」です。
今の科学技術では過去に戻ることはできないので(笑)、
過去の後悔は現在(将来)に行かすことでしか有意義に使えません。
そして、過去に後悔した気持ちは
本当にそれを経験した人にしかわかりませんが、
事象・事柄の対処という点では他の人の後悔でもかまいませんね。
他の人が失敗という結果を後悔した気持ちは知り得ることはできませんが、
その結果を将来にどう活かしたのか、どうすればそうならないか等、
学べることはたくさんありますね。
『歴史は繰り返す』『歴史に学ぶ』みたいに、
過去の偉人、資料が残っている人々にどんどん学び、
自分でもどんどん失敗(チャレンジ)していきましょう。
失敗すること、チャレンジして思うような結果が得られないことは、
すごく怖いですが、自分の経験、血肉となるのは、
自分で行動を起したことですよね?
自分でやっていないことでも血肉になることもありますが、
血肉になる度合いが全然違いますよ~。(自分にも言い聞かせる。)