「やってみる」と「みているだけ」の大きな違いとは?

ご訪問ありがとうございます。

今日は、「やってみる」と「みているだけ」にある、

思っているよりも大きな違いについて思うことを。

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皆さんは見ているときにはそんなのできるだろっ!と思っていたけど、

実際やってみると全然できなかったという経験はありませんか?

 

見ているだけと実際にやってみるのとでは、

なかなか違いがわかり難いですよね?(特に見ているときには)

 

例えて言うと、「漢字の読み書き」なんてどうですか?

読めることは読めるけど、実際書くとなれば、

習熟度は一気に下がっていきますね

 

また、本、曲等の批評なんか高度なもの以外誰でもできますが、

いざ作ったり、書いたりするとなると、誰でもはできません

 

では、なんで皆薄々わかっているのに、

そういう風に知ったかぶりをしてしまうんでしょうか?

 

私なりに考えた結果、「優越感」を皆得たいので、

それを簡単に得るためには「自分の事は差し置いて」、

相手を採点すれば良いんですね。

 

そうすれば、相手を採点している自分は相手よりも上、

相手を見下して優越感を得られるんです

 

人は何でも簡単にしたがるので、

そういう風に知ったかぶりしてしまうんですが、

そうだから気をつけよう!と言いたいのではなく、

見ているだけで自分を守るだけになっていませんか?ということです。

 

傷つきたくなかったら何もしなかったら良い

私も傷つきたくないので、本当なら何もしたくありません。

 

しかし、何もしないと何も始まらないのは明白なので、

自分自身を高めるためにとか、自己実現をするためとか、

自分が食べていくためとか、いろいろな理由で動かないといけません

 

その中で、より自分が自分自身でいられるように、

しっかりと自分で舵を取っていかなくてはいけません

 

そのために、何かにチャレンジしていこうとする中で、

見ているだけではなく、実際にやってみる機会は多くなります。

 

見ているだけでは何も始まらない、

実際にやってみたときに見ているだけのときとは違う、

差が経験となり、価値となると思いますね。

 

ただの批評家となるのではなく、

自分も何かを生み出せるようにチャレンジしていきましょう!

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