今日は、『年を取る=衰える』と考えている人に対して、
少なくともそうならないような努力はしないといけないということを。
もちろん体力的な衰え、その他、身体に関わることは、
多少なりとも衰えはあることは否めない。
しかし、車で言っても、クラシックカーや60年代、70年代の車が、
今でもしっかり走って、そこいらの車だったら、性能でも引けを取らない。
それはなぜだろう?
もちろん、最初からの性能でも差があったのかもしれない。
しかし、それよりも整備、チューンアップをしっかりやってきたから。
そのような車でも、何もしないでただ走っていれば、
たぶん、通常と同じように10年過ぎたぐらいからガタが来て、
今でも走れるような形で保っていることは難しい。
車に例えたけど、人間はそこまで車ほど、
いろいろ変えられないので(まぁ、臓器移植とかあるけど・・。)、
簡単には乗せかえられない。
しかし、衰える部分はあったとしても、
年を取り、能力は上がってくるものはたくさんある。
そこをしっかりそうなるように鍛える努力をしていこうということ。
こういうことを言うと、反論してくる人がいるが、
そういう人の典型的な口癖は、
「もう年だから・・・。」系の言葉をよく言う。
年を取っても、若いものには負けん!!といつも食い掛かってきて、
周りに迷惑を掛ける、おじさん、おばさんになるのはどうかと思うが、
そこまで行動には出さないにしても、そういう気概は必要だと思う。
気持ちはなにくそっ!!と思いながら、行動はよりスマートに!が理想。
もちろん、どんなに気持ちを持っていても、
全てにおいて、『年を取る=衰える』を防げるわけでない。
物で言うと、家電などはどんなに頑張っても新しいものには勝てない。
そういう風に、環境でどうしても最新のものには勝てない物、分野が
あるのは必然。
ネット環境が整ってから、育った人には知らない知識の吸収率が違う。
それに比べて、ネット環境が整っていない時代の人々は同じ年齢でも、
知識の吸収できる環境に差が出てくるので、同じような努力をしていれば、
やはりネット環境が整っている方が、知識は上になる。
そこには、好奇心だとか、ハングリー精神だとかは考えない。
なぜなら、それは人それぞれだし、ネット環境になると、
知識を取り入れないでも検索したら良いので、
人の知識は劣るとかいう議論を出してくると論点がずれるので。
そういうことを今日は言いたいのではなくて、
最初から気持ちで『年を取る=衰える』になっていないか?
そうなっていれば、
まずは「気持ちを変えないと流れに逆らえないよ」ということを
もう一度、肝に銘じていこう。
いつの時代にも継続と向上心に勝るものはないと思う。