今日は、何かを取引する時、
何でも良いが、
お金をもらうもらわない関係なく、
対価(お金、それ以外)をもらうのであれば、
それに見合う価値を提供できているかを
しっかり考えようということを。
もちろん、その価値とは
それを受け取る相手側の価値で考える。
なぜなら、これぐらいのサービス・モノを提供したから、
これぐらいのお金をもらっても、
値段設定しても大丈夫だろうと思うとする。
しかし、それが自分だけの価値観で
判断して、相手、大多数の人からしたら
対価に見合わないと思われたら、
対価を払うわけがないのは当然。
誰しも、何らかの行動を起こすときに、
損したくないという気持ちが働く。
私も対価が大きくなればなるほど、
慎重に元が取れるか確かめ、
ある程度、損しないだろう、損しても良いと
思えた時に、行動(お金を払う)に移す。
全員が全員、そういう行動に出るかは
わからない。
そして、どれくらいの損したくないという気持ちで
行動に出るかもわからない。
一例を出すと、
日常に買っているものでなければ、
価格判断基準がないと、
人は値段の2倍の価値が
あると判断したときに、
買うらしい。(出典不明w)
それは、一例としても、
価格よりもお得と思わないと、
その物・サービスに対価を払ってはくれない。
それをしてもらえるのは、
慈善事業ぐらい。
慈善事業でも、その物・サービスだけでなく、
慈善事業によって誰かを助けている
という価値提供が付加されるので、
全体で顧客側には
お得とみなす要素は揃っている。
別に、安売りしろ、慈善事業しろとは言わない。
対価に見合った価値をしっかり提供すれば、
相手が見合ったと思ってくれさえすれば、
成り立っているので、良いと思う。
その上で、詐欺まがいで錯覚させるのは
論外だけど、しっかりと納得してくれた上で
行動してもらえるのであれば、
問題ないと思う。
たとえ、それが第三者からすれば、
高すぎる、よくない取引だと
思われるようなものだったとしても。
その時に、自分の価値設定で、
対価感覚で決めないことが大事。
それでも、十分に相手が
動いてくれているのであれば、
問題はない。
でも、何にも影響されずに
自分で対価を決められるのであれば、
誰しも求める対価は高くなりがち。
市場の影響が、
これぐらいの物・サービスは
これぐらいの値段という
指標があるので、
対価が一定に保たれるのであって
それがないのであれば、
高くなるのは必然。
誰でも自分の提供するものは
他よりも優れている、希少だと
思いがちだし、思いたいもの。
でも、そういうベクトルばかり強いと、
独りよがりで相手は行動してくれない。
その時に、しっかりと相手がお得と思う
自分が提供する価値に見合う対価を
相手側の視点で設定することを
常に意識して行動に
つなげていこう~。
価格を下げるのが嫌であれば、
今の価格に見合う価値を
提供できるように質を
高めれば良い。
価格を下げるのは(負担の大小は関係なく)
安易にできるので、
困れば、すぐにやってしまいがちだが、
のどが渇いて、海水を飲むのと同様に、
飲めば飲むほど、のどが渇く。
そうなる前に
価値をしっかり提供できるような
努力はしていこう。