今日は、自分に対してある批判

他人に対してしてしまう批判とは何かについて自分の考えを。

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批判が起こる時、その後ろにある感情は何か?

 

相手、自分が批判される時に、

第三者が見ても間違っている時は批判されて当然だと思う。

 

それは、正しい、正しいとされる方向に是正される方が、

社会は良い方向に向かうと思われているから。

 

社会がそれを望んでいるから。

 

まぁ、歴史的にそれが正しかったかどうかは、

その後、結果としてわかるわけで、

今日はそういうことが言いたいわけではない。

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ある批判が存在する時、自分に他人にある、その批判の背景には

そのことを「認めたくない気持ち」が少なからず存在すると思う。

 

認めたくない、認めてしまったら、大小なりに

自分を否定、他人を肯定してしまい、

自分の存在価値を小さくしてしまう

 

人間、誰しも自分がかわいく、自分を大きく見せたい気持ちはある。

 

それは、当然。

 

支配されるよりも支配する方が良いし、

支配したくなくても支配されたくはない

 

その自己の感情を守るために批判をしていないか?

その事を言いたい。

 

自分の事だけ良ければ良いという考えは、

一見、短期的には自己の利益になっているように思えるが、

必ず、大小なりに自分にその代償が返ってくるので、止めた方が良い。

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例を出すと、「割れ窓理論」 bit.ly/12UFkeU

詳しい説明は、サイトに任せる。

 

簡単に言うと、自分の所だけきれいにしても、

その周りのゴミだったり、荒廃をそのままにしていれば、

治安が悪くなり、自分に返ってくるということ。

 

わかりやすく言えば、こんな感じ。

 

治安が悪くなる前に、引越ししたら良い

自分の家だけ強固な守りにしたら良い

等の反論があるかも、考えられるかもしれないが、

そういうことで議論を交わしたいわけではないので、今日はなし。

 

逆に言えば、自分とその周りを良くしていけば、

治安が良くなり、住みやすい地域を作ることができる可能性がある。

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話が少し飛躍したが、自己を守るための批判

結果として相手も自分も得しない

 

短期的な感情の欲求に惑わされないで、

長期的に幸せになれるような行動を心がけよう~。

 

一見、匿名(何か起これば、すぐに特定される)の批判が

可能になったネット時代だから私も含めて、

こういうことが見えにくくなっていると思ったので、

書いてみました。